フェイク

 14, 2011 16:33
一昨日の晩は、夫くんと一緒に録画しておいた映画を観ることにしました。
いくつか候補があったのですが、その中でチョイスしたのは<フェイク>

「どんな映画?」と夫くんが聞くので
「なんか、ギャングもの」
「うん、それは見れば分かるんだけど・・」とオープニング中の会話。

いや、J-COMでチラチラ映画のところを観ていたときに、なんとなく「面白そうかな~」と思って録画したはずなんだけど、紹介内容をさっぱり覚えていなかった(笑

覚えていたのは、<アル・パチーノ>が出ていたことくらい。
まぁ、まぁ、予備知識が無いのも、面白いかもな。と、思い、そのまま見始めた。

これが・・・また・・・・。

はっきり言いましょう。すっごく良かった!!!


<アル・パチーノ>と言えば、皆様ご存知、映画<ゴッドファーザー>のマイケル・コルレオーネですね。
tomotanさんも書いていましたが、わたしも、ゴッドファーザーは大好きな映画のひとつです。

ゴッドファーザーでの<アル・パチーノ>は、非情なエリートマフィア(?)でしたが、今回観た、<フェイク>では、うだつのあがらない、しょぼくれたマフィアを演じておりました。

内容は、FBIの潜入捜査官、ジョー・ピストーネ(演:ジョニー・デップ)が、ニューヨークのマフィア、ボナンノ一家の下っ端ボスであるレフティー(演:アル・パチーノ)に取り入り、潜入操作をするというお話なのですが、実話を元に作られているそうです。

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それ以上の内容について語るつもりはありませんが、途中も、最後も、いろいろと可哀想過ぎて、涙しました。
誰がって?
それも内緒(笑

こういう映画に興味があったら、是非、観てください。


しかし。
観終わったあと、夫くんと「よかったね、よかったね、この映画、当たりだったね」「アル・パチーノは最高だったね!」「やっぱり良い役者だねぇ!」と、ほめあっていたのですが。

夫くんが「あの若い男(FBI捜査官)は誰?」と聞くので「さあ・・?良かったよね」と答え、「うん、良かったね~!なんだっけ、あの、ほら、ジョニー・デップ?に似てたよね!」「うんうん、似てたね~!」


まぁ、ジョニー・デップだったわけですが(笑


だってさ~。

ジョニー・デップって。

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こんなだったり

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こんなだったり

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こんなだったり

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こんなだったりするんで、素顔がわかんないんだもん(笑



でもまぁ、ほんと、良い役者さんだと思いましたよ~。


最後に、映画を観たあと、一言。

「わたし、絶対、潜入捜査官とかって出来ない・・」というと、夫が笑いながら
「すぐにばれちゃうからだろう?(笑」と。

ちがうわい!

「そうじゃなくて!わたし・・・絶対・・・マフィアのひとに親切にされて可愛がられたら・・・情に流される・・」
「ボス!もう、サツなんてやっちまいましょうぜ!ってなるんだ?(笑」
「う・・ん・・・まぁ、そんな感じ(笑」

無理だよね~?(笑
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破顔一笑-いじめ2-

 08, 2011 17:18
今回は、娘の過去の話など。

うちの娘は、なんと言うか、小さいころから、どちらかと言えば「いじめにあいやすそうな」タイプでした。

いじめるひとと、いじめられるひとがいて、時々、いじめられる側にも問題がある。なんて言葉を耳にすることがありますが、それはやっぱり無いと思います。
何が原因でも、どうあっても、やっぱり、いじめるほうが悪い。これは間違いなく。

でも、確かに、「いじめにあいやすそうな」性格やタイプがあることも事実だと思うのです。
(繰り返しになりますが、だからといって、いじめていいわけじゃーない)

娘は、自己主張が少なく、強い相手に引きずられるタイプの子でした。
そして、ミーハーなところが少なく、喜怒哀楽もあまり豊富ではなく、少々、何を考えているのか分からないタイプの子でした。

幼稚園のころから、どちらかと言えばひとり遊びが好きで、わいわいと走り回る友達を眺めて、ひとりで笑っているような子でした。

およそ、社交的ではないし、口下手で、人見知りも激しい。

息子のことがあったので、障がいに詳しくなっていたわたしは、「この子には、何か問題があるんじゃないだろうか」と何度と無く思ったこともありました。


わたしは、厳しい母親だったので、「わたしが押さえつけて育てたから、この子がこんな風になってしまったんじゃないだろうか・・」と、夫の前で何度も泣いたこともありました。


小さい子に、よく聞く質問で、「お友達の中で、誰が一番すきなの?」と言うのがあると思いますが、いつも、きまって、娘が言うのは「だれも一番じゃない」と言う答えでした。

ひとにも、モノにも、およそ執着というものが欠けていて、それは、なんとなく、わたしたちを不安にさせました。


それでも、数人の仲良しの友達はいたし、学校の勉強の中程度には出来ていたし、絵も上手で何度かほめられて、リレーの選手にも選ばれたりしたこともあって、周りのお母さん友達からは、「エイちゃんは、なんでもできるねぇ」と言われていましたし、近所のお年寄りにも受けがよく、「いっつも挨拶してくれるのよ」と可愛がっていただき、徐々にわたしたちも安心し始めたのが、小学校の低学年の頃でした。

それから数年たち、彼女が高学年になった頃から、彼女ではなく、周りが少しずつ変わり始めました。

以前、小学校の教師をしている夫の友人が、「子どもはね、小学校4年で変わる」と言っていたように、子ども達は、少しずつ、思春期へ向かい始めていたのでした。


相変わらず、ぼーっとしていた娘は、周りの、「強い意見」を持った友達に翻弄され始めました。
後から親としてみると、「エイちゃんを家来のように従わせたいのに、エイちゃんは気の利いたことも言わないし、おべっかを使ってくるわけでもない。面白くない。生意気」そんな風に思ったのじゃないでしょうか。
およそ、娘は器用な子ではありませんでしたから、そんなこと、出来るわけがなかったのですけど。

そうして5年生のある日、娘と仲の良かったCちゃんが、数人のグループの中で、こう言ったのです。
「中学に入ればいじめがある。みんな、これからいじめに慣れておかないといけない。だから、順番でいじめごっこをしよう」

そんなのイヤだよ。と、何人かは言ったそうですが、結局、Cちゃんに押し切られる形となり、「いじめごっこ」の最初のターゲットは娘に決まりました。

みんなは、娘を、無視しなくてはいけなくなりました。


わたしが思うに、コレはたぶん、娘をいじめたいCちゃんが、娘をいじめるために考え出した「遊び」だったと思うのです。

暫く、元気の無かった娘から、その話を聞いて、(聞き出すのは大変でしたが)わたしと夫は話し合いの末、Cちゃんのお宅に電話をかけ、そのあらましを話すことにしました。
Cちゃんとは、小さいころから仲良しでしたし、ご両親とも交流がありましたし、正直、言いにくい状況ではありましたが、そんな状態の娘を放っておくわけには行きません。

Cちゃんは、とってもかわいい女の子で、賢くて、いつもその大きな目をくりくりとさせて、純真そのものに見えるのです。
だから、Cちゃんのお母さんも、その話を聞いて、とてもとてもびっくりして、他のお友達の家にも電話をかけたようでした。

そして、子ども達がみんな、Cちゃんがそういったこと、エイがいじめられていることを話したため、Cちゃんのご両親からお詫びがあり、子どもたちは、また、通常に戻ったのだけど・・まぁ、Cちゃんからは「親に言うなんて卑怯だ」と言われたらしいですが。
まぁ、少しのところで、終わらせることが出来て、これは、うちの娘にとってだけでなく、Cちゃんにとっても良かったことだと思うんですが・・。


そして娘が中学に上がり、1年生の頃、今度はまた違う形で、友達から敬遠される出来事がありました。

それは、「5時のおじさん」が原因で。


娘が小さかったころから、「5時のおじさん」は居ました。
いつも遊んでいる神社に、5時頃通りがかって、「もう、5時だよ」と教えてくれるのです。
それで、子ども達は「5時のおじさん」と呼んでいました。

5時のおじさんは、体に軽い障がいがありました。
脳梗塞か何かをわずらったのかもしれません。片方の手足が、少し不自由で、杖をついて歩いていました。
おじさん。と、言っても、もう「おじいさん」の年頃、雨の日も、かんかん照りの日も、一日中外を歩いていたので、わたしもよくおじさんのことは目にしていました。

娘は、5時のおじさんにとても懐いていたようで、おじさんも、「エイちゃん、エイちゃん」と、娘を呼んで可愛がってくれていたのだそうです。

中学に入って少しした頃、娘がふさぎこむことが増えました。
また、何かあったのかと思い、何日もかけて娘から話を聞きだすと、「みんなが、5時のおじさんと話さないでって言うんだけど。」と。

娘の友人らは、5時のおじさんが、知らない人の家に勝手に上がりこんでいるのを見た。だとか、子どもにしか興味を示さないだとか、つまり、5時のおじさんは変質者なので、近づきたくない。エイちゃんが親しくしていると、わたしたちまで話しかけられて迷惑。と、言うことのようでした。

わたしが、はぁ?と笑いながら、「おじいちゃんだもの、子どもが可愛いのは当たり前じゃない」というと、娘はむきになって「他所の子がかわいいなんて、ヘンじゃない?!」と言ったのでした。

「お年寄りが、子どもをかわいいと思うのは、変なことじゃないよ!」と、わたしが言うと「どうして?」と食い下がってきます。
「おじいちゃんや、おばあちゃんは、そういうものなんだよ。エイだって、今まで5時のおじさんに優しくしてもらったし、ヘンなことされたりしてないでしょう?近所の○○さんのおばあちゃんとだって、仲良しじゃない。○○さんのおばあちゃんもヘンな人なの?」
「○○ちゃんのおばあちゃんは、ヘンなひとじゃないけど・・・」
「じゃぁ何?5時のおじさんだけヘンな人なの?」
「だって・・・みんなが・・・」

このことで思い出したのは、娘たちがまだ、幼稚園に入る前の頃のことでした。
あの頃、子どもが襲われる事件が相次いでいて、それも、道を尋ねられたりして教えてあげると、金槌で頭を殴打されたりする事件で・・。
ママ友達は、みんなで口をそろえて、どうやって子どもを育てたらいいの?と悩んでいたのでした。
ひとに親切にすることと、ひとを疑うこと、両方を教えなくてはいけない。
その基準は?見分け方は?どちらを優先させるべきなの?
当時も、このときも、わたしに答えはありませんでした。
でも・・・。


5時のおじさんは、はっきり言えば、みすぼらしい格好で歩いていました。
夏なんかは、ランニングにステテコだとか、わたしたちが子どものころは、よく見かけた格好だったけれど、今の子たちには馴染まない風貌だったのでしょう。
それに、少しの障がいがあって、しかも子ども達の言うように「大人嫌い」(偏屈なひとなんだそうです)
5時のおじさんが、子どもにお菓子(飴玉とか)を配るので、いくつかの家庭から、お菓子を子どもにあげないで欲しいと苦情も出ていたようでした。

「ママは、5時のおじさんは、ヘンなひとだとは思わないけどね!」娘に言うと、娘は困ったようにしていました。

それから数日後に、ちょうど、保護者会があったので、近所の情報通のお友達に、5時のおじさんの話を聞いてみると、どうやらお嫁さんとうまくいっていないそうで、一日中外を歩けと出されているようで、身なりにも気を使ってもらえていないとのことでした。
決して、変質者だとか、そういうひとでは無いけれど、やはり少々偏屈で、大人には気を許していないところもあると。
「何かあった?」と友達が聞くので「実は娘と友達がね・・」と事情を話すと「なるほどね。でも、本当に、ヘンな人じゃないよ」と言ってもらえて、わたしは安心して家に帰ったのでした。

しかし、その、また数日後。
娘に、「5時のおじさんの件、どうなった?」と聞いてみると、娘が、「おじさんに、手紙を書こうと思ってるの」と。
ちょうど、出勤前で夫も家に居たので、ふたりで「どんな手紙?」と聞いてみると
「おじさんに、もう、話しかけないで欲しいって。書こうと思って」と答えるじゃありませんか。

夫とわたしは、娘の出した答えに、プチンと切れて、と娘を叱り飛ばしました。
夫はもう、本当に怒っていて、「そんな手紙を貰ったおじさんの気持ちを、オマエはどう思うんだ?どんな気持ちがすると思ってるんだ?オマエがしようとしていることが、どんなことだか分かってるのか?!」と怒鳴りました。
娘は、ただ、ただ、泣いていました。

娘は、そのとき、周りの友達から5時のおじさんと縁を切らなければ、もう絶交。というところまで追い詰められていたそうです。

わたしは、「○○ちゃんママから、5時のおじさんの話を聞いたよ」と、おじさんの事情を話して聞かせ、「ヘンなひとじゃないって言ってたよ、ママもそう思うよ」と言い、「友達の中で、5時のおじさんのことを悪く思っていて、お父さんやお母さんもそう言っているのなら、ママがその子の家まで、全部説明しに行ってあげるから、ちゃんと話すから、そう友達には言いなさい。」と伝えました。

娘は泣きながら学校へ行って、どんな風に何を話したかは分からないけど、「そういうことなら、わたしたちと一緒に居るときにおじさんに話しかけなければいい」と言うことで、その件は治まったようでした。


その、2年位後。
家族で車に乗って出かけようとしていると、娘が、「あ!」と声を上げて、窓を急いで開けました。

「おじさん!!!」と、娘が大きな声で叫ぶと、道を歩いていた5時のおじさんが、顔を上げ、娘を見て、本当に、本当に嬉しそうに笑いました。

「破顔一笑」って、こんな顔のことだなぁ・・・と、わたしも本当に嬉しく思ったのでした。

いじめ

 07, 2011 23:09
先日、「ハチミツとクローバー」でおなじみの、羽海野チカ先生の、「3月のライオン」の第6巻が発売されました。
「ハチクロ」も、とても好きな漫画でしたが、この「3月のライオン」も、とっても良いです。
確か、5巻が出たときも、日記に書いたような。

主人公の男の子(高校生)は、プロの棋士。
ですから、もちろん、将棋の話しなんですが、その主人公を取り巻くひとたちと、彼自身の成長を描いている作品・・なのかなぁ?(笑

4巻、5巻あたりは、みっちり将棋でしたが、実はわたしは将棋を全く知りません。
それでも、充分に楽しめたし、「おとこたち」の戦いは、めちゃくちゃかっこよかったです。
特に、もう、「島田八段」が、かっこよくて、かっこよくて・・・♪

今回の6巻では、(5巻の最後の辺りからでしたが)主人公が親しくしてもらっている家の、中学生の女の子が、学校で、いじめにあうお話しが中心になっています。

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わたしは本来、最近の漫画によくある、学校でのいじめが出てくるお話って、好きじゃありません。
陰湿で、いじわるで、見ていると「きーーーーー!」となって、そいつら全員、殴り飛ばしたくなるからです(笑

いじわるなのが、イヤだというよりも(そういう性格のひとは嫌いじゃないし)集団でどうこうって言うのが、ともかく嫌いです。
個人個人がきちんと繋がって、それが輪になっている。と、言うのなら分かるんだけど、なんだか同じ穴の狢みたいなのが、うようよ集まって「仲良しごっこ」をしているのを見ると、気持ちが悪いんですよね。

でも、この「3月のライオン」は、すんなり入ってきました。
陰湿ないじめの描写が、あまり直接的に書かれていないことと、いじめられている側の子の気持ちに寄り添っているところと、いじめられた女の子の周囲の人間の「まっとうさ」でしょうかね。
そういう救いがあったので、嫌な気分にならずに読むことができました。

しかし、今の「いじめ」って、本当に陰湿ですよねぇ。

わたしが子どものころにも、もちろん「いじめ」はあったと思います。
だけど、少し形が違ったかなぁ・・。
わたしが子どもだったころは、無視するとか、匿名で何かをするとか、そういうんじゃなくて、どちらかといえば、馬鹿にしてからかう。って言うのが主流だったような。
まぁ、もちろん、どっちが良いともいえないし、どっちも悪いんですけど。

それで思い出したのが、わたしが中学1年のとき、同じクラスだったK下さん。

彼女の名前をはじめて聞いたのは小学6年生のときでした。
わたしは、小学6年生のときに引越しをして、新しい学校に通ったんですけど、その何週間目かの掃除当番のときでした。

一緒の掃除当番の女の子(明るくて元気で可愛くて人気者)が、掃除場所であった裏庭の倉庫の鉄のドアに、「K下○○子のバカ」と石で書き込んでいたんですね。
で、それを見て「K下さんって誰?」とわたしが聞くと「バカ」とだけ答えたので「なんで怒ってるの?」ともう一度聞くと「T長(クラスの男子)に、わたしたちかわいい~?って聞いたら、K下よりはな!って言ったから!」と答えたのでした。

つまり、比べられること自体、腹立たしいほどの相手だったのでしょう。

でも、当時のわたしは、それがよくわからなくて、「ふーん?」と思っていたので、すごく記憶に残ってるんですよね。

それで、数ヶ月がすぎて、小学校を卒業し、地元の中学に入ると、同じクラスに、その、K下さんは、いたのでした。
「あぁ、彼女が、あの、K下さんかぁ・・」

どうやらK下さんは、もうずっと小さいころから、ほとんどの子に嫌われていたようで、友達はひとりもいませんでした。
そしてK下さんは、なんというか、確かに、ちょっと変わった雰囲気を持つ女の子でした。

中肉中背なんですが、天然パーマと思われるくりくりの髪の毛は、量もすごく多いようで、しかも中途半端な長さに伸びていて髪も結んでいないし、とても頭が大きく見える。
ぼわ~っとした大きな頭と、猫背で歩く姿。
顔はいつも赤らんでいて、ニキビ痕なのか、荒れたような肌。
そして、とびきり勉強が出来ない子だった。

学校をたびたび、途中で帰ってしまうようなこともあったので、今にして思えば、もしかしたら、何かしらの軽度の障害があったのかもしれません。
もちろん、当時は、そんな風に思っていませんでしたが。(学習障害なんて言葉もなかったかも?いや、わかんないけど)

そんなK下さんでしたが、わたしは特に、嫌なことも無かったし、すきでもきらいでもなかったので、まぁ、無関心でしたので、普通に接していたのだと思います。とっても部外者的に。

そんなある日、いつものように、K下さんが、クラスのにぎやかなグループにからかわれていて、「ねぇ、何の歌が好き?」「じゃぁ、それうたってよ!!ギャハハハハ!!」とか「何の花が好き?」「え?ひまわり?」「○○ちゃんと一緒だねー」「やめてよーーー!」「ギャハハハハ!!」とかやってたんですよね。

わたしは、「あぁ、またやってるよ」くらいの感覚でいて、他の友達と話をしていたんですが、暫くすると、そのにぎやかなグループの子たちがゲラゲラ笑いながらやってきて、「ちょっと!momeちゃん!」と話しかけてきたんです。

「なにー?」と答えると「今さー!K下に、変われるなら誰と変わりたい?って聞いたらさー!momeさんか、I田さんって答えてたよーー!!」と大きな声で笑い、いじわるそうな顔をしました。
「ふうん。なんで?」とわたしが聞くと「しんない~!どーう思う~?」と、またゲラゲラ笑い、いじわるそうな顔。

あぁ、なるほどね、つまり「イヤだ」とか「不愉快」だとか「迷惑」だとか、言って欲しいのね?
すぐに分かったけど、そういう仲間に入るのは、ごめんだったので、困ったようにもじもじと見ているK下さんの所へ歩いていき、「なんでわたしとI田さんなの?」と聞いてみた。
K下さんは、うつむきながらも、うれしそうに「ふたりとも優しくて、わたしをいじめないから・・」と答えた。

まぁね。
I田さんは分かるんだ。
ほんと~~~にね、優しい、The女の子!って感じの子で、フエルトでお人形とか良く作ってて、わたしにも作ってくれたりして、おとなしくて可愛くて、敵がいなかった。
でも、わたしは無関心だっただけなんだけどな。
ついでに、集団でどうのこうのが、昔から嫌いだったから、そういう仲間に入らなかっただけなんだけどね。

だからわたしは「そう。I田さんは良いね。わたしも変わりたいくらいよ」というと、K下さんは、本当に嬉しそうに笑った。

にぎやかなグループは、当てが外れたように、所在をなくしていた。


その後、K下さんとは、クラスも別れ、卒業までほとんど縁が無かった。
いつだったか、運動会があった日の夜、近所の神社でお祭りがあり、友達と出かけると、そこにK下さんの姿を見たことがあった。
K下さんは、お父さんとお母さんと一緒にお祭りに来ていて、なぜか、緑色の学校指定のジャージのままで、鉢巻まで巻いた姿でお祭りの会場にいた。
「やっぱり、かわってんなぁ・・・」と、そのとき思った。

そして一度、3年生の冬に、わたしのクラスにK下さんが来たことがあった。
わたしを見て、うれしそうに「高校に受かった」と教えてくれた。
彼女が入った高校は、あれ?高校なのかな?専門学校?
調理師さんの勉強をする学校で、そこでもまた、彼女をいじめている数人が「あそこの学校の受験問題は、足し算とかなんだって!!ギャハハハハ」とやっていたけど、「良かったね、おめでとう!」と言うと、「ありがとう」とうれしそうに答えた。

なんでわたしのところに言いに来たのかなぁ?今もって謎だけど、うれしい出来事を報告する相手が、わたししかいなかったのだろうけど、わたしも別に付き合いがあったわけじゃないんだけどな。

卒業後、数年した頃、電車で偶然にK下さんに会うことがあった。
彼女は、地元から3つ、4つ離れた駅にあるピザを出すレストランに就職したようで、働いてお給料を貰っていると言っていた。
夏、だったのかな。
白いひらひらとしたワンピースを着ていて、「今度、食べに来てね」と言った彼女は、少しだけ変わって見えたような気がした。


わたしは、その店に行くことは無かったし、その後、実家の引越しで、遠くなってしまったので、彼女のその後は知らない。


わたしが、こんなことを何十年も経って思い出すように、彼女もわたしを思い出すことはあるのだろうか。

「あのひとは、優しかったんじゃなく、無関心だったんだわ」と気づくのであろうか。

フラメンコ

 04, 2011 02:14
「あなたの魂と踊りの時間に感謝します。日本に来てくれてありがとう。あなたのファンより」

そう書いたカードを、フリルのようなピンクの縁取りのある、一本の大輪のバラに添えた。

名前は書かなかった。

そのバラを贈ったのが、「わたし」であることに意味はないと思ったから。




7月31日。
フラメンコを観に、夫とわたしは日比谷の野外音楽堂まで出かけてきた。

わたしは、音楽にも、踊りにも、まったく疎いので、詳しいことは分からないし、語る言葉も知識も持ち合わせていない。

けれども、それを観たときに、わたしの心は震えた。
それ以上のことなんて必要ないんじゃないかとも思えた。


7月の初め、夫が「フラメンコ観にいかない?」とわたしを誘った。

フラメンコは、好き。だと思う。

「うん。いいね、行きたいね」そう答えると、夫が「スペインからもゲストが来るみたいだよ」と教えてくれた。
小松原庸子舞踊団「真夏の夜のフラメンコ」
さっそく、HPにアクセスしてみると、そこには、わたしが、わたしたちが、一方的に良く知っている名前があった。

<アントニオ・カナレス>


「カナーレス、来るみたいよ!!」わたしが言うと
「え?本当に?じゃぁ、絶対観ないとね」と夫が答えた。


アントニオ・カナーレス。
まさか、この目で、本物を見る日が来るとは思わなかった・・・。




わたしは、映画が好きだ。

あまり、ジャンルにはこだわらない方だと思う。
静かな映画も、楽しい映画も、哀しい映画も、観る。
あ、怖い映画はあまり観ない(笑

「趣味、映画鑑賞」と、言えるほど、たくさん観てきたわけじゃないと思うけど、それでも、何百と観た映画の中で、わたしが一番好きな映画。

それが<VENGO/ベンゴ>

もう、7、8回、観ていると思う。

はじめて観たときから、強く引き込まれて、何度も繰り返し観るたびに、毎回同じように泣いて、新しいことに気づく。
どうしようもなく、好きな映画。


『「ベンゴ」は単にフラメンコを扱っているのではない。映画自体が本能的にフラメンコなのだ。』と、監督である、トニー・ガトリフは、言っている。

http://www.cinemarise.com/theater/archives/films/2001008.html


この、映画、<VENGO>の、主人公、「カコ」を演じたのが、他でもない、フラメンコダンサーである、<アントニオ・カナーレス>そのひとであった。


しかし、この映画の中で、アントニオ・カナーレスは、一度も、踊りを踊ることがない。
ひとつのステップも踏まない。

だけど、アントニオ演じる「カコ」はフラメンコそのものだと思う。




この映画にほれ込んで、アントニオ・カナーレスにほれ込んで、彼の、フラメンコが収められているDVDを買った。

わたしの「知っている」フラメンコではなかった。

そして、素晴らしかった。



その、踊りを、彼を、観ることが出来る日が来るなんて・・・・・。




当日は曇り空。
今にも降り出しそう。


夫と二人で日比谷に向かう。


花屋で、バラを一輪買う。


入り口で、花を預けるところがあったので、バラにカードを添えて置いてきた。



最初に舞台に登場したのは、主催の小松原庸子さん。

今回、ゲストで参加したアーティストは、日本のために、ボランティアで駆けつけてくれました。と、挨拶がありました。

舞踊団は、杉並区にあり、杉並区は南相馬市と姉妹都市だそうで、被災された方々への支援のための、チャリティー公演だそうです。
収益の一部と、募金のすべてが南相馬に送られるとのことでした。


そして挨拶の後、盛大な拍手が起こり、そのあと、舞台が幕を開けました。



いくつかの「知っている」フラメンコを観たあと、彼の出番になりました。


この日、アントニオ・カナーレスが踊った踊りは「シギリージャ」


嘆きの踊り。


彼のステップが、手が、表情が、体中が、被災した日本を思い、憂う。

なんかもう。

涙が出てきた。



踊り終えた後、彼が顔を両手で覆い、その後、胸に両手を当てて敬意を表すと、わたしの胸も、いっぱいになった。

わたしも、胸に手を当てて、彼の魂を感じた。


わたしには、フラメンコや踊りや歌の知識なんて、これっぽちも無いけれど。
魂を感じることは出来る。



そして最後に観た、<クリスティーナ・オヨス>
高名なバイラオーラであるとのこと(わたしは、もちろん、知らなかった)

彼女もまた、本当に素晴らしかった。

日本のために、彼女が作った踊り。
鳥肌が立った。




そして、この素晴らしいフラメンコの舞台を終えて、わたしと夫は、トニー・ガトリフの言った言葉を真に理解することになった。


『「ベンゴ」は単にフラメンコを扱っているのではない。映画自体が本能的にフラメンコなのだ。』


わたしと夫は、「あれが、わたしたちのフラメンコの理想形なのだ」と結論付けた。



夜、帰宅してから、前日に同じ舞台を観にいった娘と、どれほど、アントニオが素晴らしかったかをたたえあい、そして、3人で、また<VENGO>を観た。


娘は2度目。
夫は4回目くらい?

また、泣いて、思って・・・。



VENGO鑑賞会の後は、VENGO討論会に移ったのだけど、それはまた、いずれ。











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