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兄弟のこと

 03, 2017 07:04
この何ヶ月か、ケイと同じ病気のお子さんを持つ親御さんの日記やつぶやきを見て、胸の痛みを感じる。

いくつかテーマはあるんだけど、よく目にするのは、やはり兄弟児の問題だろうか。

hana001.jpg


どうしても、障がいを持った子の方に「手間」がかかるのは当然のことなので、兄弟にはそれがストレスのもとになっていることが多々ある。
単純に、自分じゃない方の子(障がいを持った子の方)が、親に可愛がられ愛されているのだと感じるんだと思う。
特に身体障がいがあれば、どこに行くにも抱っこされて、いつまでたってもママやパパ、ヘルパーさんなどから、「あーん」と言ってご飯をたべさせられ、何か小さなことが出来ると、総出で褒めたたえられる。

果たして、自分はそのように扱われているのか?と思っても不思議ではない。
そして、自分はそのように扱われていないと感じ、障がいを持った兄弟に焼きもちをやく。
ここまでは、障がいを持った兄弟だけの問題じゃなく、一般的に下の子が生まれた後の上の子の問題と共通していると思う。

でも、少し年齢が行くと、その障がいを持った兄弟には病気があることがわかる。
自分のように立って歩いたり、もしくはおしゃべりをしたり、もしくはお行儀よく過ごせたりしないことに気づく。
だから、焼きもちをやいたりしてはいけないんじゃないかと思う。
だけど違和感を感じる。
親の関心を引きたくて手がかかる行動をとる子もいるだろう。
だけどそれが得策じゃないことに気づくのにそんなに時間はかからない。
それで、よい子にしていたり、兄弟児に優しくすれば、親や周りの人から褒められることに気づく、結果、自分に関心が寄せられることを学ぶ。

人にやさしくあること。その気持ちはとっても大切にしたい、だけど、本当にそれでいいのか。
まだまだその小さな心で抱え込むには重たいんじゃないの?と、考える。
だから、もっと我が儘でいいよ!と思ってみるものの、「良い子にしていて(手をかけさせないで!)欲しい・・」とも思ってしまう。
親も子も、みんなもう、泣きたい気持ちでいっぱいなんじゃない?

わたしも、娘も、そうだった。
娘は生まれたときからケイがいた。
年子だから双子みたいに育ってきたけど、なんとなく、ケイちゃんの方が可愛がられているんじゃない?という気持ちが、たぶん、ずっと、あったのだと思う。
わたしは、まったく同じように育ててきた「つもり」だったから、娘がそのように思っているとは全く想像すらしていなかった。

でも、数年たったある日、娘が父親に叱られたか何かで、まったく原因も、何もかも覚えていないんだけど、娘がダイニングテーブルの下に潜り込んで、「パパはあたしよりケイちゃんがカワイイんでしょ!」と大きな声で言うのを聞いて、慌てて父親が「そんなことないよ!エイだって同じくらい愛してるよ!」と言ったら、娘が堰を切ったように大きな声で泣き出したことを強く覚えている。

なんか、いろいろ我慢させてきたんだ、って、その時はじめて気づいて。
たぶん、娘が小学校低学年くらいの頃。


それからわたしは、どうしたらいいのかをずっと考えた。
家族や身内に障がい者がいると言っても、「自分が障がい者であること、親が障がい者であること、子どもが障がい者であること、兄弟が障がい者であること」は、みんな、まったく、違う。
そしてそれぞれの気持ちを理解することなんで、たぶん、出来ないんじゃないだろうか。

だからわたしは、買ったばかりのパソコンを使って、障がいを持っている人の兄弟が書いたブログなどを読み漁った。
その中で、「孤立・疎外感」というキーワードが多く目に入った。

あるひとのブログでは、弟さんが障がいを持っていて、喘息発作などもあって、ひとたび発作が出たりすれば親が弟さんを連れて病院へ駆け込み、自分はひとりぼっちで留守番したり、時には祖父母の家に預けられていて、常に疎外感があったということだった。
少し大きくなったある時、その疎外感や孤独を親に打ち明け、長く話し合った結果、親と一緒に弟をサポートしていくということになって、彼の孤独感は癒えたようだった。
それからは、とても強い絆で家族が結ばれているとあって、わたしは、それを少しだけ取り入れることにした。

以前にも書いたことがあるんだけど、ケイの病気が分かったあと、妹がいると知った数人の知人が「女の子で良かったわね」と言ったことがあって、要するに、女の子なら介護の手伝いをするものだという決めつけと寄りかかりがあって、わたしはそれがとてもイヤで、娘に息子の介護なんてさせるもんか!好きなように自由に生きて行って欲しい。と思って、夫にも考えを伝えて夫も賛同してくれたので、そのように育てようと思っていた

だから、そのブログの方のように一緒にサポートするという形にはしなかったけど、どちらかと言えば親サイドに立ってもらって、アイデアを出してもらったり、ちょっとした相談を聞いてもらったりした。
その他は、あまりかかわらなくて良いという姿勢を崩さなかった。
たぶん、数年はうまくいっていたように思う。(と、わたしが感じているだけかも)
でもその後、何年かして娘の問題行動がいくつか現れるようになった。
約束事を破ったり、学校に行かなかったり。
娘が中学、高校時代。

本当にこの時期うちはハチャメチャで、この時期の話しはまだ自分にとって痛すぎて書けないんだけど、いろんなことがあって、しばらくしてからそれが少しずつ落ち着いてきて、それでも娘への悩みは消えなくて。
その時、娘のことを友人に相談したことがあった。
その友人は「前から思っていたんだけど」と言ってから「momeちゃんは、娘ちゃんを大人扱いしすぎるんじゃないかって思ってて」と言った。
思わず、はっとなった。

ハチャメチャだった時期、感情と感情がぶつかるままにわたしたちの家族はひどく荒れていて、苦しい時期が続いていた。
それを超えようとしたとき、どのような態度で臨めばいいのか、どのように家族同士で接しあえばいいのか、何が相手の心に通じるのか、いろんなことを考えて気づいたのは、「娘はもう子どもじゃない」ということだった。
話せば、通じる相手なのだと思ったのだ。

だから、なるべく理路整然と、なるべく感情的にならず、大人として接し、大人としての責任を求めた。

だけど、やっぱりまだ子どもだったのだ。

結果的に、理性的に物事を伝え、相手もそうであることを求めることによって、いやだいやだと駄々をこねることを許さず、逃げ場を作らないで追い詰めた。
「ママは間違ってないから反論できない!」と娘が言ったこともあった。
正しいこと思われることが本当に正しいかわからない。
娘を思ってしてきたつもりのことは、ただたんに、娘を物わかりの良い都合の良い大人に育てようとしていただけだったのかもしれない。
それじゃぁ子どもは辛すぎるわけで・・・。


今、娘はもう「おとな」と言われる年齢になって、いろんなことで少しずつ大人になってきていて。
そうね、親サイドからケイに接することもあれば、子どもサイドからわたしたちに接することもある。
やっとなんとか、普通っぽい親子関係になりつつあるような気がしてる。
いつまでも、親子の関係で言えば、親は親だし子は子だよね。当たり前だけど。
わたしだって、親の前では子どもだもの。
大人になっても、子どもだものね。

子育てなんて失敗の連続で、いっつもうまくいかないことだらけで、どこにも正解が無くて、それなのに、ものすごく重大なことで。
本当に後悔だらけで泣きたくなる。
わたしの時代も、その前の時代も、今のひとたちも、おんなじようにどうしたらいいのかって途方に暮れてる。


だから、今回はわたしの失敗談を聞いてもらいました。


そういうのを、みんな、どんどん踏み越えて行って!



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